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手話が「見えた」瞬間

ここんとこ何か月も前の話ばかり書いてるので、ここらで少し「最近の」話をしてみたいと思います。

「クイズ ドレミファドン」というTV番組をご存じでしょうか?
昔は確か毎週放送やってたような記憶があるのですが、最近は不定期、というか番組改編期に合わせてスペシャル版としてのみ放送されてるみたいです。
メインは「イントロドン」というクイズで、流れるイントロで曲名を当てるというものです。

私とイモ子はこの番組が大好きで、いつも放送がある時は録画して、休みの日にゆっくり楽しんでいます。
「対決!」と称して、どちらが多く回答できるかを競ったりしてねw

で、先日放送された同番組の中で出題された問題は、すべて「年代別・ドラマの主題歌」でした。
最近はそんなのばっかりで、本当はそういった「しばり」は入れずにランダムにいろんな曲を出題してもらった方が面白いと思うのですが、秋から始まるドラマの番宣も兼ねていたみたいだから仕方ありませんね。

それでもドラマによっては映像を流してくれたりもして、懐かしいな~なんて思いながら観ておりました。

その中に「愛していると言ってくれ」と「サイレント」がありまして、久しぶりに映像を観て、「あれ?」と思ったんですよね。
今さら言うまでもありませんが、これら二つのドラマには、手話が出てきます。

話は番組から逸れますが、私は毎朝ブログを書き始める前に、まず「レポート」を確認します。
全体の訪問者数やら、ましてやランキングなどは別にどうでもいいのですが、「記事別アクセス」は気になります。そう、どの記事がどのくらい読まれているかがここでわかるんですよね。
面白いのは8月の終わりごろになると、本の感想を書いた記事にアクセスが増えるんですよね。たぶん、夏休みの宿題の読書感想文に困った人が何かの参考になればと検索して読みに来てくれてるんだろうなーと思うと、なんだか微笑ましい気持ちになりますし、卒業式シーズンになると「卒業」というワードのあるタイトルの記事にアクセスが増えるようです。

で、9月ごろからは「手話検定」とタイトルのついた記事へのアクセスがグ~~~ンと増えていて、これから検定を受ける人や、受験した人が読みに来てくれてるんだろうなと思ってました。
そういえば、一昨年の今頃に「全国手話検定5級を」受け、去年は「手話技能検定3級」を受けたんだっけと、私自身気づいて、当時の事を懐かしく思い出したりもします。

「ドレミファドン」で映像が流れた「愛していると…」は、1990年代制作のドラマで、これを観て私も手話に憧れたもんです。
そして2020年代の「サイレント」で「本格的に手話の勉強をしてみよう」と改めて思い立ち、そこから頑張って日本手話検定を受けたという経緯があるのです。

驚いたのは、これらのドラマの映像が「ドレミファドン」の中で流れた時、

え? 手話が見える!

と思ったんですよ。

それ以前にも、「全国手話検定」の実技の時とか、友達のお姉さんの社交ダンスの発表会で中途失聴の先生と話した時とか、たどたどしい手話でやりとりしたことはあるのですが、その時にはまだ手話を頭の中で翻訳して理解しようとしてたような気がします。

でも今回ドラマの映像を見て感じたことは、それがどういうことなのか上手く説明できるか自信がないのですが、「愛していると…」の中でトヨエツさんが示した指文字とか、「サイレント」で目黒蓮さんが「俺の言ってることわからないだろ?」と手話で聞く様子とかが、ハッキリ「見えた」んです。
というか、手話が言葉としてダイレクトに伝わってくるのを感じました。

もちろん今も一日に一度は手話動画を見て勉強は続けているのですが、「検定試験を受ける」という緊急の目標がなくなると、さすがにモチベーションも下がってきてるなと自分でも感じてたんですよね。

でも、これらのドラマを初めて観た時にはチンプンカンプンだった手話が、今ではこれだけわかるようになり、そればかりかいつの間にか感じ取れるほどになってたんだなーと思うと、少しずつでも進歩してるのがわかって、とても嬉しかったです。

なので、今後も少しずつでいいから手話の勉強は続けて行こうと改めて思ったという次第です。

# by glassysky | 2025-11-16 05:05 | Comments(0)

義母の通夜・葬儀、四十九日法要は無事に済み、日常が戻ってきたとはいえ、まだやらなきゃならないことは山積みです。
まず、義母が暮らしていたダンナの実家をどうするか、ってことなのですが、この家の名義っていまだに四半世紀ほど前に亡くなった義父と、一部が義祖母のままなんですよね。
これをダンナの名義に書き換えるのが大変そうで、ダンナは何度も法務局へ足を運んでおります。私はそういうことまったくわかんないので丸投げw
相続権を持つ縁者全員に相続放棄してもらわなきゃならないらしくて、特に義祖母の名義の部分に関しては、ダンナ、義姉はともかく、遠方に住んでるイトコ(義祖母の孫たち)にもお願いしなきゃならないんです。
ま、評価額としては、義祖母の名義の部分なんて土地が100万ほどで、建物に至っては、

なんと10万!!!

なんだってさwwwww
先日美容院へ行った時、この話をしたら、馴染みの美容師さんやアシスタントの女の子たちに、
「お家がたったの10万って……」
と大笑いされました。

まあ、確かに家の裏に無理やり建て増ししたような二階建てで、一階は物置(納戸)、その横の細い階段から上がった二階に義祖母が隠居部屋として使ってた狭い和室があるだけ。
二階に関しては、部屋の作りは屋根裏部屋みたいというか、昔の貧乏小説家が暮らしてる部屋っぽい雰囲気でなかなか素敵なのですが、今じゃ入ったら床が抜けるんじゃないかってくらい老朽化していて、たとえわずか10万だとしても誰も買わないでしょうw

義父の名義の部分にしても、築50年も経つ田舎の家の価格なんて知れたもので、その権利をめぐって親族間で「犬神家の一族」みたいな殺し合いが起きるなんてことはありえないだろうなとwww

ただ、ダンナとしては、自分が育ったこの家を空き家にしたり、ましてや人手に渡すなんてことは考えられないみたいで、いずれはこちらに移住する前提で片付け・修理などを行なっていきたいみたいです。
しかしこれには娘たちが猛反対していて、
「老後を過ごすなら大阪の方が絶対によくない?」
と言ってます。
正直言って、私もそう思います。
だってこっち(大阪のマンション)の方が、歩いて行ける近所にコンビニやスーパー、クリニックが何件もあるし、やたら段差の多いダンナの実家よりマンションの方が歳とってからも暮らしやすいだろうからね。
ダンナの実家って、まず上がり框が無駄に高いし、建て増しした部分にも段差があって、義母も晩年には上がれなくて小さい踏み台を置いてたくらいで、ホントに年寄りには暮らしにくい家なんです。
もちろんダンナの実家の近所にもスーパーやコンビニ、病院などはありますが、歩いていくにはちょっと遠く、道路の幅が狭くて舗道がないから自転車で走るのもちょっと怖いんですよね。
やっぱ田舎で生活するには車がないと無理。でも私は免許持ってないし、運転できるダンナにしても、いずれは高齢になって免許返納しなきゃならなくわけだし。

あとね、私は出来るだけ娘たちに迷惑かけないように、最期を迎えるのは何らかの施設にしたいと思ってるんです。
義母だって、最初の考え通りに施設に入っていたら、あんな最期を遂げることはなかったはずだしね。
しかも、ネットで相場を調べたら、ダンナの実家のある兵庫県って、他の件と比べて施設入所にかかる費用がケタ違いに高いんですよ。
とにかくこれ見てください。

お片付け開始! あるいは「何を見ても何か思い出す」by ヘミングウェイ_b0162477_18042224.png
全部はスクショに入りきらなかったのですが、このあと「和歌山 入居費用10.0万円 月額費用25.3万円」となっています。
施設と言っても特養やら老健やらグループホームやらと、種類によって費用が違うみたいなので一概には言えませんが、兵庫と奈良だけが突出してますよねえ。それに、これはひとつのサイトだけからの情報で、サイトによってかなり大きな違いがあるみたいですが。

以上のような理由で、私はたとえダンナの実家に住むようになっても、住民票は大阪に置いといて、老後は大阪の施設に入りたいです。
だって、その方が友達が面会にも来やすいだろうからね。ま、来てくれたらの話だし、そのころには友達も全部この世にいないかもしれませんがwww

さらに言えば、出来れば施設にも入りたくはないから、誰かの世話にならなきゃなる前にキレイにオサラバしたいもんですが。

いずれにしても、それはまだずっと(?)先の事で、とりあえずの問題は遺品整理です。
ダンナの実家の間取りは一階に義母の寝室と、今は仏間として使ってる、かつての義父の居室、茶の間(リビング?)とダイニングキッチンと納戸。二階はダンナと義姉がそれぞれに使ってた部屋が二部屋。
今でいう4LDKで、義理祖母の居室を入れたら5LDK&納戸ってことになるのかな? とにかく古くてボロいけど、部屋数だけはいっぱいあるわけです。
50年も暮らしてりゃ、そりゃ物も増えますし、しかもダンナと義姉が独立し、義祖母も義父も亡くなったあとの20数年間、義母一人で使ってたわけで、とにかく物があふれかえってるんですよ。なまじ部屋数があって、物を置くスペースがあるってのも考えものですね。
昔の人は……というか、私もそうかもしれないけど、特に義母は「物を捨てられない」人で、物が増えてきたら古いものや使わなくなった物を処分しようとしないで新しい棚や収納家具を買ってきてたみたい。それでさらに物が増えるという悪循環www。

アネ子が一緒に暮らしてたわずかな期間の間にも、よく「棚を買ってきて」と言われたそうで、アネ子にとっては「おばーちゃんといえば『棚を買ってきて』ばっかりだった」そうなwww

そんなこんなで、義母が亡くなった後も、2~3週間に一度は帰省して、せっせと「物捨て」に励んでおります。

生前、義母から「私が死んだら真っ先に下着類を捨てて。なるべく見ないようにしながら捨ててよ」と言われていました。この気持ちは同じ女としてわかる気がします。
とりあえずは「普通ごみとして捨てられるもの」として、下着や肌着、古いTシャツなどから捨ててたのですが(ついでに毛玉だらけのセーター、カーディガンなどもw)、これだけでゴミ袋5個分くらいになりましたよw

次いで雑誌類。
一階の廊下に作り付けの棚があって、そこに何故か「ミマン」って雑誌のバックナンバーが十数冊ありました。
「ミマン」なんて雑誌名、イマドキの人はしらないでしょうね。すでに廃刊になって久しいみたいだし。
「ミマン」になる前は「ハイミセス」って名前で、「ミセス」って雑誌の姉妹誌(母娘誌?)みたいな感じの年配主婦向け月刊誌でした。他にも「マダム」なんて雑誌もあったような? ネーミングセンスの古臭さに時代を感じますねw

何にしても私はこういうご婦人向けの雑誌には若い頃から興味がなくて「アンアン」「ノンノ」すら読まなかった……というか、そういういわゆるファッション誌なんか読んでる連中を小馬鹿にしておりました(ホンットに嫌なヤツw)。
ただ、かつてものすごくヒマな職場で働いてた時、同僚や先輩が「MORE」とか「SAY!」とか買って回し読みしてたから、私も何か買わなきゃ悪いかなと思って「WITH」なんか一時期買ってましたけどね。でもそういう雑誌に何が書いてあったのかまったく覚えておりませんw
それにしても就業時間中に雑誌の回し読みしてたなんて、どんだけヒマな職場だったんだって話ですよね。思えばのどかで気楽な良い時代でしたwww

なので結婚してからも「素敵な奥さん」だの「レタスクラブ」だのにはまったく興味がありませんでした。
ただ妊娠がわかってからは、ちょっとは出産育児の参考になるかと思ってマタニティ雑誌は二度ほど買いましたが(「バルーン」だったか「わたしの赤ちゃん」だったか? それすら覚えてません)、毎月書いてあることに変わり映えがしないことに気づいて、すぐに読むのやめました。こんな雑誌を毎月毎月買う人の気が知れないわと思ったもんです。やっぱ嫌な奴だな私ってwww

しかし、以上に名前を挙げた雑誌って、今じゃほとんど休刊・廃刊になってますね。読んでた(読んでなかったけど)雑誌名で年齢がバレそうだわwww

あ、でも私、美容院に行くと、置いてある女性週刊誌をついむさぼり読んでしまいますwww
美容院に行く時って、もしかしたら「美しくなる」こと以上に「週刊誌が読める!」ってことの楽しみの方が大きいかも???
それでも自分でお金払って買おうとは思いませんけどね。

またまた話が逸れました。
いったい何が言いたかったかというと、まだ結婚したばかりの頃、義母が家に届いた(義母は定期購読してましたw)「ハイミセス」を見ながら、
「アンタもあっというまにハイミセスを読むようになるんやで」
と言ったことが妙に記憶に残っているからです。
その時私は心の中で、
「私は年取ったってそんな雑誌読みませんよ」
と思っておりました。事実そうだったし、先にも書いたように若い頃にもファッション誌なんか読みませんでしたから。

でも今にして思えば、若い頃にそういう雑誌を見て流行の服やヘアスタイル、メイクなどの研究をしていれば、センスもちょっとは磨かれて、あんなダサダサな二十代を過ごすハメにはならず、その後も少しはマシなセンスのオバちゃんになれていたのかも?とも思います。

ダンナの実家の近くに古紙回収場所があるので、新聞・雑誌類は紐で縛って、大阪へ帰る途中でそこに捨てるのですが、新聞紙なんかと違って「ミマン」みたいなグラビア雑誌って表面がツルツルだから紐を掛けるのも一苦労なんですよねー。
おまけに一冊ずつが重いから、何束にも分けて縛らないと持てないし。
他にも通販のカタログなどと全部合わせて5~6束になりましたが、これだけで一仕事でした。
通販のカタログに関しては、義母が亡くなったあとも送り続けられておりまして、いまだに帰省するたびに郵便受けに溢れかえっております。
まったく、どんだけ通販好きだったんだって話w
発送先に連絡して止めてもらえばいいんですが、こういうカタログって見てると結構面白いので、一応ザっと目を通してから捨ててます(何も買わないけどね)。
……ということは、私も義母の事とやかく言えない「通販好き」ってことなのかも???

ただ、ちょっと悲しかったのは、某サプリメント系通販会社から来た、「お誕生日おめでとうございます」のメッセージ付きカタログ。
誕生日月の会員には特別サービスがありますよ、みたいなことが書いてあったけど、対象となる義母はもういないのになーと思うと、さすがに胸が痛みました。

雑誌類を処分して空いたスペースには、大阪の家に眠っている本や映画のパンフなんかを引っ越しさせています。
そういうのって、しょっちゅう読み返したく(見返したく)なるようなもんでもないけど、捨てるのは惜しいんですよね。将来的には結局娘たちが処分することになるんでしょうが。

二階の階段を上がったところにベビー箪笥(いったい誰の???)が置いてあって、中を見たら使い古しの軍手とか靴下とか誰のものだかわからないような衣類しか入ってなかったので、そういうものは全部処分。
で、そのベビー箪笥も捨てて、そこに私専用の本棚を置きたいと思ってるんですよね。
ただ厄介なのは、そのベビー箪笥の上にはガラスケースに入った二体の日本人形が置いてあることなんですよ。
人形って処分に困るというか、むやみに捨てにくいじゃないですか。しかもその人形って、男の子と女の子で、明らかにダンナと義姉の「身代わり人形」なんです。

「身代わり人形」なんて知らないと言うイマドキの若い人のために(そんな人がこんなブログ読んでるかどうか疑問ですが)説明しておきますと、要するに「子供の身代わりになって病気やケガなどの災難から守ってくれるお人形」のことです。
たぶん義祖母あたりが、孫の無事を祈って買ってくれたものだと思いますし、古臭い考えかもしれませんが、そのおかげでダンナも義姉も健康でいられたのかもしれないと思うと、粗末に扱うことはできません。

なのでこの人形はこのまま同じ場所に置くとなれば、ガラスケースを乗せられる奥行きのある本棚が必要になってきます。
これがなかなか難しいといいますか、箪笥と違って本棚って、そんなに奥行きがないんですよね。
もちろん、書斎に置くような立派な本棚だと奥行きもたっぷりですが、そういうのって幅が広すぎて階段の上には入らないし、背も高いから人形を置くスペースがない。

目下、目を皿のようにしてネットで探していますが、理想のサイズの本棚はまだ見つけられておりません。

本棚と言えば、また一階の廊下の話に戻りますが、その突き当りにも謎の本棚があるのです。
なぜ「謎の」かと言いますと、その本棚、曇りガラスの扉がついていて中が見えず、私がこの家に嫁いできて(実際に暮らしてたのは大阪のマンションですが)以来、一度も開いたことがなかったからです。
いわば「開かずの本棚」?www
いかにも古っぽくて、なんか不気味な感じ(?)がするので、敢えて扉を開けて中を見たいとは思わなかったのですが、この棚も処分したいので、まず中をチェックしてみようと、今回初めて開けてみました。

すると、中に入っていたのはやっぱり本(当たり前かw)で、恐らく義母が読んでいたのであろう女性作家のエッセイ本や、かつてベストセラーになった「窓際のトットちゃん」「チョッちゃんが行くわよ」などと一緒に、なんと長谷川町子さんの「意地悪ばあさん」や「サザエさん」といったマンガ本も出てきました。
これにはウハウハでしたねーwww
特に「意地悪ばあさん」が出てきたのが嬉しくて、さっそく読ませてもらってます。

ダンナ曰く、
「なんでそんな本がうちにあるんだ?」
とのことで、確かにダンナの実家って皆さん知的というか、マンガなんか読まないって人たちだったんですよね。ま、ダンナや義姉が子供の頃はそれぞれに少年マンガ・少女マンガなんか読んでたみたいで、ダンナは「あしたのジョー」、義姉は「ホット・ロード」が好きだったという話を聞いたことがあります。
でも「サザエさん」や「意地悪ばあさん」って、明らかに大人が好むマンガですよねえ?(もちろん子供が読んでも楽しいんでしょうが)
いったい誰が買ってたの? とは思いますが、よくよく考えたら、昭和40年代くらいのころって、どこの家にもこの本はあったような気がします。うちにも「意地悪ばあさん」あったしね。

それでまた思い出話に突入するのですが、私が中学生の頃、ちょっと変わった転校生がやってきました。クラスは違っていたのですが、聞くところによると帰国子女だったようで英語はペラペラ、名前も当時としては珍しいキラキラ・ネームでした。でも本もいっぱい読んでいて賢い子なのに、ちっとも気取ったところがない、いい子みたいでした。
ただちょっと反抗的なところがあって、家庭科のテストで「バーキングパウダーとは?」という問題が出た時に、
「真面目に書くのは馬鹿らしいので」とわざわざ前置きしたうえで、
「昔、欲張りな大さまがいて、小さなお菓子を大きく膨らませて食べたいと思って作ったものです」
なんて書いたらしいwww
う~ん、ウィットとユーモアに富んだ、なかなかいい回答だ。

その子とは高校も一緒だったのですが、一度も同じクラスになったことはないのに、何故か私の噂を聞きつけて(私も相当悪評高い生徒だったのかも?)気に留めてくれたらしく、少し話すうちにすっかり仲良くなって、よく家にも招かれたりしてたんですよ。
そしたら彼女の部屋の本棚にも、たくさんの本があり、私の好きなミステリ小説もいっぱいあったから、ますます話が弾みました。そして、それらの本に混じって「意地悪ばあさん」があったんですよ。私がそれを見つけると「『意地悪ばあさん』好きなの~♡」って彼女が無邪気に言ったのが妙に印象に残ってるんですよね。
ちょっと意外だったけど、ますます親近感が湧きましたね。
だってね、彼女のお宅って門にバラのゲートがあるような豪邸(?)で、なんと居間には作り付けの暖炉があった!!! ま、暖炉ったって見た目だけで、中身はストーブだったんですがwww
一度だけお会いしたことのあるお母さんもとっても知的なタイプ。他のご家族(彼女はご両親とお婆さん、そしてお姉さんと住んでました)もそんな感じだろうなと想像できたので、まさかそんな家に「意地悪ばあさん」があるとは……www
でも考えてみれば、住んでた家は「豪華なバラ屋敷」と「昭和臭漂う家」という違いはあるものの、ダンナの家族もかなり知的な人たちでした。義祖母は90歳で亡くなる直前までいつも本を読んいたし、義母も同様。義父に至っては、書物に限らずクラシックやジャズといった音楽に関する造詣も相当なものでしたから。
なのでダンナの言う「なんでそんな本が家にあるんだ?」って言葉にも頷けるのですが、そんな知的なダンナの身内にも「バラ屋敷」の人々にも愛されていたなんて、それだけ「意地悪ばあさん」や「サザエさん」は国民に浸透してたってことなんでしょうね。
作者である長谷川町子さんの偉大さを改めて感じずにはいられません。

いや~、またまた盛大に話が逸れましたね。
しかし義母の遺したいろんなものを見てると、部外者の私ですらこんなにいろいろと思い出してしまうのだから、義母本人にとってはさぞや思い出深い物ばかりだったのでしょう。捨てられないのもわからなくはないですね。
なので雑誌や古い手芸の本以外は出来るだけ捨てずに、作り付けの棚の方に移して保管しています。「意地悪ばあさん」以外にも、興味惹かれる本は借りて帰って自分でも読んでいます。

あと、大量に捨てたのが段ボールです。
まあ、家じゅうのあっちこっちに段ボール箱があって、何が入っているのかと思いきや、ほとんどが空箱。
中には段ボール箱の中に段ボール箱が入ってたりして、

マトリョーシカかよ!!

とw

この段ボールだけで20枚以上つぶして捨てましたよ。

それからネックレスや指輪、ブローチといった貴金属などもいっぱい出て来たので、一か所にまとめておいて、親戚の女性たちに、
「気に入ったのがあったら持って帰って」
とLINEで伝えました。

ダンナの実家の鍵はダンナとアネ子以外に、義姉、姪の亜矢子ちゃんも持ってて、亜矢子ちゃんはもう一人の姪(亜矢子ちゃんの妹)である春陽ちゃんと一緒に来るだろうから、お参りなどで来た時に持って帰ってくれればいいなと思ったんです。

し か し、結局のところ誰も手を付けないまま。

それもそのはず、義母の持ってたアクセサリー類って、どれもデザインが古臭いんですよ。

ネックレスにしても、細いチェーンの先に飾りがついてるような小洒落たものでもあればと思うのですが、そういうのは一個もなくて、あるのはドドメ色のデカい石が連なってるようなゴツイデザインのネックレスばっかり。
指輪にしても、義母の時代には「デザインリング」ってものがなかったのか何か知らないけど、輪っかの先に石がついてるだけ、ってのばかりなんですよ。
そんなの誰も欲しがりませんよねえ。

それでまた思い出したのですが、以前読ませてもらってたある人のブログに、
「亡くなった母が私と妹にそれぞれ30万円ずつ遺してくれたので、そのお金でピンキーリングを買って母の思い出にしたいと言ったら妹に猛反対された」
って記述があったんです。
その人、一時期生活に困って妹さんにも借金をしてたみたいで、指輪なんか買うお金があったら返済に回したらどうなのよと妹さんは思ったんじゃないかな。私もそう思ったし。
それに、それ読んだ時私は「いくら慎ましく生きてきた人だとしても、お母さんだって指輪やネックレスの一つくらい持ってただろうから、形見にしたいならそれをもらって身につけてればいいのに」とも思ったんですよ。
しかし、実際に義母の遺品を見てたら、とても自分で身に着けたいと思うようなものがなくて、何か自分の気に入ったものを新しく買いたいと言うそのブログ主さんの気持ちもわかる気がしましたwww

なので義母の遺品のアクセサリー類は、時期が来たらまとめて買取店に持っていこうかなと思うのですが、果たしていくらくらいになるんだろう? あんまし期待はできないですけどね。


長くなっちゃったので、ここで一旦切ります。
片付けネタはまだまだ続く予定です。

# by glassysky | 2025-11-14 05:55 | Comments(0)

それから(8月編)



11月に入り、かなり寒くなってきましたね。
1日(土)~2日(日)にかけて帰省してたのですが、あちらは家の中がホントに寒くて、早々と暖房をつけて過ごしました。

そんな季節だというのに、このブログはまだ真夏w
ようやく「残暑お見舞い申し上げます」の時期に差し掛かったところという感じでしょうか。
そのせいか、気持ちはまだ義母が亡くなった前後の頃を漂っているような気がします。

さっさと終わらせたいというわけでもありませんが、前回に引き続き、当時のメモを元に記録していきます。

1日(金)
前日の8時間勤務がきつかったので、今日休みで本当に良かった。
頭痛はなくなったけど、なんとなく倦怠感があるのと、クシャミ・鼻水・咳といった、軽い風邪の症状がなくならない。
映画もwowowにあんまり観たいのがなくて、「松島トモ子のサメ遊戯」なんて軽いのを観た後、処分目的で適当に選んだディスクに入ってた「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」ってのを観たら、意外と面白かった。

夜、帰宅したダンナに「明日の実家での花火大会はやめとく」と話し、ダンナにもやめるように説得。

2日(土)
結局娘たちも花火大会には行かないことになり、全員家にいたw

だったら、ということで、昨日のキーマカレーの残りを使って朝からカレーパンを作りました。

私もダンナも(特にダンナは重症?)夏バテ気味だし、アネ子も胃の調子が悪そう。
ただひとり元気なイモ子が買い物に行ってくれて、トイレットペーパーや牛乳、アイスコーヒー、玉子などとりあえず必要なものを買ってきてくれました。助かるわ~。

午後から娘たちと「ガン二バル シーズンⅡ」の一気見大会。
ダンナは昼寝したり起きたり。

晩御飯は食材の買い物に行けなかったので、冷蔵庫の残り物(白菜、冷凍の豚肉、そら豆、海老など)を使って適当に作りました。

3日(日)
買い物→昼ビール→ご飯→昼寝と、途中まではいつもの休日だったんだけど、昼寝から起きたらすごくしんどくなってしまった。
なんだかまた身体が熱くて、熱中症ぶりかえしたかな?って感じ?
どうにか晩御飯は作ったし、食欲も普通だったけど、やっぱ昼ビールはやめとべきだったかな。

普段私はビール呑みだすと500mlのカン2本くらい平気で空けちゃうんだけど、この時期は一本呑むのもやっとでした。

4日(月)
なんだかダラダラした休日。
こんなんじゃだめだと、映画2本(「悪なき殺人」「嗤う蟲」)観た後、昨日買ってきたクリームチーズと生クリーム、ドライフルーツとナッツを使ってカッサータを作り、そのあとドラマ「デスパレートな妻たち」を少し観て、これまた前日に買った床用スプレーでダイニングの床を掃除した。雑巾が真っ黒になったwww

あと、リビングとの敷居の黒ずみも気になったので磨いたら、けっこうきれいになった。

洗濯もしたし、夜はコロッケとブリのバター醤油レモン焼きというものを初めて作りました。本当は照り焼きにする予定だったんだけど、ネギを買い忘れてたので急遽変更。でもなかなか美味しく出来たと思う。
暑さが身体にこたえて、毎日しんどいけど、まあまあ頑張った一日だったとしよう。

5日(火)~13日(木)まで、10日間ほど全くメモが残ってませんでした。そういうの書く気力もなかったのかもしれません。
家族や友達とのLINEのやりとりも残ってないし、家計簿にも特別な支出の記録はありません(LINEや家計簿って結構日記代わりになりますねw)。
ま、特に何事もなく、普通に仕事に行ってたってことなんでしょう。

よく、葬儀の終わった後、弔問客が親族の人に「お疲れが出ませんように」って言いますが、その「お疲れ」ってのがこのことなのかなあと思います。
葬儀の間や、終わった直後はまだ気が張ってるけど、一か月も経ったあと、ドッと疲労感が来たって感じだったのかも。

14日(木)
アネ子とふたりで帰省。

お盆の時期は毎年ダンナやイモ子も一緒に帰省してるのに、今回はなんでアネ子と二人だけだったかと言いますと、8月9日(土)から15日(金)までの一週間以上、ダンナの会社は休みになるんだけど、その間にコンピュータのシステムの入れ替えをするとかで、ダンナを含む数人だけが出勤せねばならなかったからです。
これは以前から決まってたことで、ダンナは「今年はお盆の帰省はできないなー」なんて言ってたのですが、まったく6月で一応定年になったというのに、それ以前よりいっぱい働いて、しかもそれを全然苦にしていないダンナって、ホントに根っからの仕事人間なんだなあと思います。

イモ子もお盆休みが取れなかったので不参加。

でもアネ子と二人きりの電車移動もけっこう楽しかったです。電車の中でお菓子食べたりして、久しぶりの「女二人旅」って感じでね。

ただ困ったのが夕飯。
この時期はいつも帰省すると外食してたんだけど、お盆とあって近所の食べ物屋さん、ほとんど閉まってるんですよ(田舎だな~)。
ようやく開いてる店を見つけても「今日は早じまいなんです」とか「予約でいっぱいです」と断られ、ふたりで散々さまよい歩いた挙句、結局コンビニ飯になってしまったw ま、そういうのも今となれば笑い話で楽しい思い出ですけどね。

15(金)
帰阪

昨日今日と、アネ子はダンナの実家でも二階の部屋で仕事をしてました。
それでも朝のうちに近所の菩提寺まで歩いて行ってお参り。お昼には毎年恒例の戦没者慰霊祭を二人で観ました。

アネ子の仕事が午後までかかるというので、三時くらいに大阪に帰ることになったのですが、ものすごく暑くて、駅までの道のりがつらいな~(徒歩で20分くらいかかる)と思ってたら、家を出るときに近所の食べ物屋さんの杏子さん(佐和子さんの娘さん)が、ちょうど車で帰ってきたところで、
「今から帰るの? 駅まで送りましょうか」
と言ってくれました。
隣の市までピラティスに行った帰りだったみたいで、最初は「いいです」と遠慮したんだけど、あまりの猛暑にさすがに歩くのはヤバいかと思い、甘えさせてもらうことに。
でもホントに助かりました。車の窓から、外を歩いてる人を何人か見かけましたが、みんな汗だくで真っ赤な顔してフーフー言いながら歩いてましたから。

杏子さんには何度もお礼を言って、無事在来線に乗ることができたのですが、途中から雨が降り出して、乗り換え駅に着くころには土砂降りでした。
そういえば、前日の夜中も雨音が聞こえてました。大阪はこの頃、全然雨が降らなかったので、ちょっと羨ましかったわ。だって雨が降れば少しは涼しくなりますからね。やっぱ山が近いと雨も降りやすいのかな。

夕飯は551で買って帰りました。
豚まん、餃子、シュウマイ、肉団子などなど。

16日(土)
入れ替わりにダンナが帰省。

暑い中、自転車で菩提寺に行き(お寺までは近いので、車庫から車を出す時間を考えたら自転車で行った方が早いからw)、お参りの後、来週の四十九日法要のことを確認しようと思ったのに、母屋には鍵がかかっててお留守だったそうな。
この呑気さは田舎だからなのか、あるいはお寺ってそういうものなのかわかりませんが、無人のまま本堂開けっ放しで大丈夫なんですかね? まあ、そんなに高価な仏像などがあるようなお寺ではないみたいだから、泥棒が入っても盗むものなさそうだけどw

この日はアネ子もイモ子も出かけていたので、私は家でのんびり。
韓ドラ「愛していると言ってくれ」や「デスパレートな妻たち」、録画してあった「プレバト!」など観ながら編み物の続き。

で、完成したのがこちらなんですが……
それから(8月編)_b0162477_17182502.jpeg

う~~~~~ん、なんかボコボコしててイマイチだなあwww
ブリムの反り返りも、スチームアイロンかけても直らないし。

エコアンダリア(荷造り用紐みたいな糸?)を使うのも、カンカン帽を編むのも初めてだから仕方ないかなとはいえ、とても外に被って行けるような代物ではないので、その後も結局衣装ケースにしまいっ放しになってます。いずれ解いて別のもの(バッグとか)に編み直すかも。


17日(日)
ダンナが帰阪したので、買い物に行く。
今日はダンナの靴を買う為、いつもより遠いスーパーへ。
なんせ義母の葬式のときに穿いてた靴が、あまりにも汚かったのでw、来週の四十九日法要までに新しいのを買わなきゃと思ってたから。
滅多に行かない店の衣料品コーナーを見てたら、可愛いカンカン帽を見つけて衝動買いしてしまったw。夏物だから値下げされてたしね。

昼はカレーチャーハンを作って、食べた後昼寝。
起きたらダンナが、
「久しぶりに一緒に映画観る?」
と聞いてきた(ホントに長いことダンナと映画を観てないなあ)けど、満中陰志の準備をしなきゃいけないでしょ、ってことでそちらの作業。

晩御飯は買ってきた総菜ですます。

18日(月)~23日(土)
この一週間はまたまた記載なし。
しかし24日(日)が義母の四十九日法要だったから、前日の23日(土)には帰省したはず。よく覚えてないけどw

24日(日)
四十九日法要。

法要はいつもの菩提寺で、そのあと生前義母が大変お世話になった近所の食べ物屋さんで食事。
義母が大好きだった人たちの営むお店だし、お世話になったお礼も兼ねて、ここで食事しようということは以前から決めて予約もしてあったんだけど、実を言うと逆にちょっと申し訳ないことになってしまいました。
というのも、このお店は義母の最後の、そして年の離れた親友である佐和子さんと、その娘さん夫婦で普段はやってらっしゃるんだけど、なんとこの日は佐和子さんと娘の杏子さんが、佐和子さんの実家に帰っちゃってたんですよね。
なので杏子さんの旦那さんであるケンさんひとりで20人分くらいのメニューを提供しなくちゃならなくなったんです。

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まずは前菜。

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鯛のアクアパッツァ

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何かよくわかんないけど魚の蒸したやつw

ケンさんひとりでは大変だからということで、私や娘たちも給仕を手伝いました。
テーブルには箸しか出てなかったんだけど、一番最初に出た前菜のローストビーフが結構大きくて、切らないと食べにくかったのでナイフ&フォークを出してくれるようにケンさんに頼んだんですよ。
そうしたら、カトラリーの入った籠を出してきてくれたんだけど、これがすっごく汚かったんです。
このままじゃ親戚たちに出せないと思って、こっそり拭いて出しました。

お世話になった人のお店だし、ひとりで奮闘してくれてるケンさんには申し訳ないけど、やっぱ男の人ひとりではこういうとこまで気が回らないのかなと思ったりしました。





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 〆はカレー


どれももちろん美味しかったんだけど、私はこのあとデザートが出るかな? と思ってたのでカレーは食べませんでした。お腹いっぱいになりかけてたのでね。
しかし結局デザートもコーヒーもナシ。なのでちょっと食べたりなかったから、このカレーも食べときゃ良かったwww



25日(月)
帰阪

帰宅してから気づいたんだけど、この前週の週末は大阪の地元で行われる盆踊りの日だったみたいです。
コロナ禍で何年か中止されていて、ようやく再開した去年も何故か忘れてて行けなかったんですよね。
ま、正直言って盆踊りってのはどうでもよくて、お目当ては屋台の焼きそばや焼き鳥、フランクフルトなど買って晩御飯にすることと、年に一度のかき氷をこの日だけ食べるということなんですが。
でも、盆踊りってのも一種の「神事」なのかも(「盆」踊りってくらいだから仏事なのか?)と考えたら、参加しなくて正解だったのかもしれませんね。

義母の葬儀直後にダンナの実家の近所の神社で行われたお祭りといい、体調不良で行けなかった8月初頭の花火大会といい、今回の盆踊りといい、やっぱり喪中にはそういうのとは縁がないみたいだから、それで良かったのかもしれません。

26日(火)
この日が本当の四十九日だったのに、すっかり忘れてて、朝のご飯を炊くのも忘れてた。
イモ子のお弁当も作ってあげられなくてゴメン。

ちなみに四十九日のお寺参りには、義姉が行ってくれたみたいです。ありがとうございます。

この後もメモは全く残ってないのですが、以下はスマホに残ってる家族LINEや写真などから記憶を掘り起こして書いていきます。

30日(土)
家族みんなで映画「ジュラシックワールド 復活の大地」を観に行ったようです。

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ダンナが恐竜大好きだし、私もけっこう好きなんで、このシリーズはずっと観てるのですが、シリーズが進むにつれてだんだんつまんなくなってくるみたいで、もしかしたらこれが映画館で観る「ジュラシック」シリーズの最後になるかもね、って感じでした。

鑑賞後、アネ子が言った感想が、
「登場人物の行動がみんなアホすぎ」
とのことで、まさにそんな感じwww
でも家族一緒に観るには罪がないというか、お気楽に観れる作品ではありました。

映画はともかく(?)、そのあとの食事は楽しかったです。
映画館(シネコン)と同じ建物内にあるファミレス(ココス)に入ったのですが、
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お約束のサラダのシェア。フライドポテトもシェアしました。

奥に映ってるのはピリ辛麺みたいなので、娘たちはこれ一つを二人で分け合ってました。

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ダンナは豪快にハンバーグ&ステーキのセット。
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夏野菜の天婦羅。これは結局私が一人で食べちゃいました。
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さらにハンバーグもw 私が一番たくさん食べてましたねwww
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あと、地元の盆踊りで食べられなかったかき氷のリベンジ! ってことでデザートに氷イチゴ。
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娘たちは白熊かき氷。

調子に乗って食べてたら身体が冷え切ってしまって、温かいスープを追加して飲む羽目にwww

7月に義母が亡くなり、その月の末ごろから私とダンナが体調を崩したりと、この夏は大変でしたが(おまけに異例の猛暑だったしね)、ここへ来てようやく通常の生活に戻れたなって気がした一日でした。



# by glassysky | 2025-11-06 17:51 | Comments(0)

それから(7月編)

義母の見送りに関しては長期間かけて書き尽くしましたが、ここからはさらに「その後」のことについて書いていきたいと思います。
ツイッター風にメモを残してあったので、ほぼそれの丸写しになりますが、黒文字はメモのまま。青文字や写真などは追記となります。

10日(木)
通夜

11日(金)
葬儀

12日(土)
実家でのんびり

9日(水)に義母が亡くなり、10日(木)11日(金)が通夜と葬儀だったので、翌土曜日のこの日にゆっくりできたのはありがたかったです。
夕方、近所にあるこんなお店で晩御飯を食べました。
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ダンナの実家の近所には、いろんな食べ物屋さんがあり、それぞれに個性があって楽しいです。

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まずはビールで「お疲れ様」。娘たちはお酒は飲まないので、アネ子はウーロン茶(だったと思う)、イモ子はレモネードなんか飲んでましたね。

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サラダをシェアして、

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ガーリック・フランスとアヒージョ。

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私のメインはハンバーグ・シチュー。
ダンナやイモ子も同じのを頼んでましたが、アネ子はオムライスにしてました。

それからね、この晩は地元の神社で何かのお祭りがあったそうで、暗くなってから近所の食べ物屋さん一家が誘いに来てくれました。
私とダンナはビール呑んじゃってフラフラだったから、娘たちだけで行きました。
でも、喪中に神参りはしちゃいけないって言うから、神社には入らず、外から眺めるだけにしたみたいです。

13日(日)
帰阪

と言っても、帰るのは私とイモ子だけ。
イモ子は月曜日から出勤だけど、アネ子はまだしばらくダンナの実家にいると言うし、ダンナも一週間休みを取って、色んな雑事を片付けなきゃならないので、翌日にはとんぼ返り。
要するに私とイモ子を大阪に送るためのアッシーにしちゃったわけで、これは申し訳なかったな。

でも、この日は関西万博初日に悪天候のため中止になったブルーインパルスの飛行が行われ、うちのマンションからも見ることができたんですよね。
これはラッキーだったし、特にダンナは「男の子」だからそういうの好きで、すごくテンション上がってたみたいです。

14日(月)
ダンナは各種手続きのためまた実家へ。
私は朝はイモ子のためにお弁当作ってあげて(義母に供えるご飯を炊くついで?)、洗濯をしたあと映画を観て過ごす。
wowowで「サメ映画万博」ってのが始まってウハウハだけど、ほとんど観たヤツばっかり。
それでも観ていない作品「ジョーズ・イン・ジャパン」「イド・シャーク 心霊調査ビッグサマー」「ジョーズ・ザ・モンスター」を観た。

その後、役所関係の手続きやら必要なもの(義母の印鑑証明やらダンナの預金通帳やら)の件でダンナとLineでやりとり。
あとはトイレの掃除をして、海外ドラマ「デスパレートな妻たち」を再鑑賞しながら編み物(真っ白なカンカン帽)などして過ごす。

15日(火)
ダンナからのLINEで、義母の家にあった緊急連絡用の電話を返しに行ったら、ネックレスタイプのボタン(?)もあったそうで、それも返さなければ弁償だって言われたそうな。
どこの機関がそう言ったのか知らんけど、弁償という上からの対応も腹立つけど、そういうこと言い残して逝かなかった義母にもムカつく。

また、この日はあの糞ケアマネが弔問に来るとのこと。
よく顔を出せたもんだ。私がいたら門前払いしてやるのに!

16日(水)
福祉用具の返却やらお悔やみにくる人への対応などで忙しいだろうダンナには申し訳ないけど、月曜からこっち、ホントにノンビリさせてもらってます。
この日はディズニープラスでホラー映画を二本観て、あとは「デスパレート…」を観ながら編み物。

17日(木)
ダンナとアネ子が戻ってくる日。
早朝から大雨。
少ししてマシになったけど、一日中ショボショボ降っていた。
そんな中、私は久しぶりにパン作り。お得意のオニオンチーズブレッド。帰ってきたダンナとアネ子に食べさせてあげたかったので。そういえば、しばらくこんなことする余裕もなかったんだなあ。

イモ子が出勤前に、「今日はお姉ちゃんたち帰ってくるね」と言ったら「うちら二人だけの生活も楽しかったね」なんて言ってて、本当にそうだったなあと。
「またあの二人(ダンナとアネ子)だけで実家行ってくれたらいいのに」と大笑い。

昼前にダンナとアネ子が帰阪。
入れ違いに私は雨の中クリーニング屋さんへ。
式服四人分も出すので、2割引きの木曜日に出してしまいたかったから。
帰ってきたら、郵便受けにアマゾンで注文したCD(ミセスグリーンアップルのベスト)が届いてたv

そのあと久しぶりにダンナと昼ビール。
向こうでいろいろな手続きをした苦労話(?)を聞かせてくれた。特に土地家屋相続の手続きがややこしそう。

それからお昼寝。夕方に起きて、午前中に観かけていた映画「呪葬」の続き(残り10分くらいだったけど)を一人で観て、晩御飯は酢鶏。

18日(金)
昨日が雨だったのと、ダンナとアネ子が持って帰った衣類などで洗濯物が溜まりまくり。
朝から三回洗濯機を回しました。
ひとりきりの(アネ子はいるけど自室で仕事してるので)のんびり休日も今日で終わり。
明日からの三連休は家族がいるし、火曜日からは私も仕事復帰の予定。

映画「ホワイ・ライズ・ビニース」「ヒルズ・ハブ・アイズ」を観たあと、ガスコンロ回りの掃除。こういうこともなかなか手が回らなかったから、今後は少しずつ家の中をきれいにして、断捨離も再開したいです。

埼玉に住む幼馴染の美恵子ちゃんから手紙。
郡上八幡旅行の楽しかったことや、私への気持ちなんかもいっぱい書いてくれてて嬉しかった。
Cさんからの手紙も放置したままだし、近いうちにふたりに返事を書かなくてはね。

19日(土)
家族そろって映画「F1」を観に行きました。

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6月に公開される前から観たいなあと思ってたんだけど、毎週末帰省しなくてはならない状況が続いてたので諦めてました。
でもこう言っちゃなんだけど、義母が亡くなってようやく自由な時間が出来て「観に行ける!」となったのですが、いかんせん公開からだいぶ日にちが経っているので、いつも行くシネコンでは夕方からの上映しかない。そのほかの映画館も午後からだったり、どうにか午前中の上映があっても日本語吹き替え版だったり。
映画はアサイチの上映、できたら字幕版で、と思ってる我が家としては、これは由々しき問題。
で、あちこち調べてたら、心斎橋のシネコンで、朝9時過ぎから字幕版の上映があることが判明。
心斎橋ってあまり行かない(どっちかというと難波の方が身近?)けど、それはそれで新鮮だなと思い、そこで観ることにしました。他に選択肢もなかったしね。

そうしたらこの劇場、まだ新しいだけあって、すっごくいいんですよ。
座席は前後も横も幅が広くて、しかも隣の席との遮蔽版みたいなのもあるからゆったりと観られて快適。遮蔽版は感染対策なんだろうけど、上映中のおしゃべりを防ぐ役にも立ってますよね。ちょっと料金プラスすればリクライニング・シートの席なども選べたみたいですが、今回は普通の席。

上映前に、ちょっとしたハプニングというか、「?」な出来事がありました。
というのも、上映開始ギリギリになって入ってきた男の人が、席探しに迷っているようで、さんざんウロウロした挙句、一旦出て行っちゃったんです。
ああ、スクリーンを間違えたのかなと思ってたら、また戻ってきて、私に、
「あの~、Cの11番を予約してるんですけど」
と、自分のチケットを見せてきた。その席番がまったく私の座ってる番号とまったく同じだったんですよね。
これって、予約したチケットが被ったってことなんでしょうか?
その人は「一回(係の人に)聞いてきます」と言って出て行きましたが、その後戻ってこなかったみたいなんですよ。
彼はどうなったのか? 私らが気づかなかっただけで、戻ってきて別の席に座ったのか? あるいは払い戻ししてもらって、この日の鑑賞は諦めたのか?
よくわからないまま、映画は始まりました。

映画は、もう

すっごく面白かった!

二時間半越えという長さを感じさせないスピード感と充足感。
観てる間中、まったく退屈することなく興奮しっぱなしでした。

大満足したあと、この日は土用の丑の日だったので、同じ施設の中にあるウナギ屋さんで食事。

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ダンナは鰻重

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イモ子は鰻丼、私とアネ子は↑の天婦羅&鰻重セット。

美味しかったしお値段も手ごろ。ちょうど昼時だったのに待ち時間もなくて良かったです。

そのあと、娘たちは心斎橋で遊んで帰るというので、ひとり一万円ずつ特別こづかいをあげて、そこで別れてダンナと二人だけで先に帰りました。
おこづかいに関しては「なんで?」聞かれたけど、「頑張ったからね」と言っておきました。
ホント、このくらいのおこづかいじゃ足りないだろってくらい、特にアネ子はがんばってくれましたから。

というわけで今日はとってもいい日、完璧な一日でした。

これは後からダンナが言ってたことなんだけど、
「家族で映画を観て、ゆっくり外食なんて、あと数年は出来ないと思ってた」
と。
つまり、義母が生きてたらこんな時間は過ごせなかっただろうなってことで、義母には申し訳ないけど、これで良かったのかも、なんて思ってしまいました。

20日(日)
朝から選挙(投票)に行き、ダンナが健康診断の書類を会社に忘れてきたというので取りに行き、それからスーパーへ買い物に。
なんだかようやく日常が戻ってきたなって感じ?
帰宅してからクーラーのフィルターを洗って本体をスプレー掃除。結局全部ダンナにやってもらいました。
この猛暑で、6月からすでにクーラー稼働させてたから今さらって感もありますが、こんなことも出来ないくらいドタバタしてたんだなあと改めて思った。
きれいになったせいか、効きの良くなったクーラーはちょっと寒いくらいでしたが、おかげで気持ちよくお昼寝ができました。
ちょっと寝すぎちゃったので、休日恒例の夕方映画大会はナシ。

「デスパレートな妻たち」を観ながら家計簿つけたりしてたら、アネ子が「足にネイルさせて」というのでやってもらいました。
私、足の爪が不細工なんで、ペディキュアなんかしたことなかったけど、やってもらったらやっぱり可愛くて、ちょっと嬉しくなりました。

夜はアネ子の希望で素麺。
選挙の結果が気になるところだけど、とにかく今日もいい一日だった。

21日(月・祝)~24日(木)
特に事もナシ。
普通の生活に戻った感じだな。

25日(金)
仕事は休み。とくに何もなかった。

26日(土)~27日(日)
ダンナと二人で帰省。
ゴミ袋10個分くらい不用品の処分をして、使えそうな調味料やラップ、残ってたお米などもらってきた。

28日(月)
日中はなんともなかったんだけど、夜中に身体が熱くなって目が覚める。

29日(火)
身体の熱さは続き、頭痛(頭全体が締め付けられるような痛みに加えて、三叉神経痛のビリビリした痛みもある)、倦怠感がひどい。
ダンナからは「仕事休んだら?」と言われたけど、午前中身体を休めたら少しマシになったので午後から出勤。

30日(水)
今度はダンナが前日の私とまったく同じ症状を訴え、一度は仕事に行ったものの、すぐに帰ってきた。
時々パソコンで仕事をしながらも、ほとんど寝ていた。
あまりにも長時間、それこそ昏々と眠ってるので、
「生きてるか?」
と心配になって何度か寝室を覗きに行ったくらいwww
やっぱ二人そろって熱中症かも?

31日(木)
フルタイムの仕事。きつかったー!
くしゃみ、鼻水、咳と、まるで風邪みたいな症状も出て、午後からは腰が痛くて立っているのがやっと、という感じ。それでも笑顔で接客を続けた私はエライ!
明日が休みになってるのが幸い。でも週末に予定している帰省&花火大会はやめとこうかなと思ってます。

# by glassysky | 2025-11-01 05:09 | Comments(0)

葬儀費用について

義母の通夜・葬儀の話は前々回で一応終了なのですが、ここからはそれらにかかった費用を記録しておきたいと思います。我が家の記録という意味ももちろんありますが、これからご家族を見送る方たちに、少しでも参考になればとも思います。

お金のことをあからさまに書くのはいやらしいと思われる向きもあるかと思いますが、以前、お母様を施設に入れてらっしゃる方のブログを読ませてもらったら、毎月かかる費用の明細を具体的に書いてくださってて、とても参考になったので。

まず、義母はD会館の会員になっており、あらかじめ30万円が払い込まれていました。
おかげでずいぶん助かったので、私たち夫婦も見習いたいと思っています。このD会館の対応はとても感じが良かったので、初めは私たちもここの会員になろうかと話していたのですが、残念ながらダンナの実家のある県内にしか会場がないみたいでした。どこで死ぬかはまだわからないから、私たちが会員になるなら全国展開しているところにしようと思います。

祭壇       440,000円  実費 0
②礼状30枚     7,000円   実費 7,000円
ホール使用料   26,000円  実費 18,000円(-8,000円)
親族室使用料   54,000円  実費 50,000円(-4,0000円)
親族室延長使用料 28,000円  実費 25,000円(-3,000円)
平棺       39,000円  実費 0
棺覆い      2,700円   実費 0
⑧旅路の杖     12,000円  実費12,000円
⑨羽毛布団     28,000円  実費 28,000円
⑩みちびき象    4,500円   実費 4,500円
⑪おくり畳     9,700円   実費 9,700円
仏式枕飾り    9,000円   実費 0
枕花       5,000円   実費 0
必需品セット   65,870円  実費 61,570円(-4,300円)
骨壺小      950円    実費 0
⑯後飾りセット   6,800円   実費6,800円
盛り物二段    2,500円   実費 0
受付事務用品セット5500円   実費 0
芳名録・香典帳 他 1,000円   実費 0
⑳告別式アシスタント×2 22,000円 実費22,000円
写真(カラー四つ切・バック消し) 20,400円 実費 8,000円(-12,400円)
㉒電飾写真     2,000円   実費 2,000円
遺影写真背景   サービス
写真額      6,300円   実費 4,300円(-2,000円)
㉕フロッキー額   8,500円   実費 8,500円
㉖略礼       6,500円   実費 6,500円
㉗出棺用花束    16,000円   実費 16,000円
㉘当家花・喪主花セット 79,000円 実費79,000円
遺体用保冷剤×2  16,000円 実費 8,000円(-8,000円)
㉚遺体保護セット  24,550円   実費 24,550円
㉛寝台布団セット  7,600円   実費 7,600円
寝台車(会館送) 22,000円   実費 0
㉝洋式霊柩車    31,500円   実費 31,500円
㉞マイクロバス   36,000円   実費 36,000円
㉟末期の儀     80,000円   実費 80,000円
㊱芳名額      8,500円   実費 8,500円
㊲コーヒーセット(親族室用) サービス
㊳水引袋×2     200円    実費 200円
㊴浴衣       6,500円   実費 6,500円
㊵証明書類(葬儀証明2通・診断書コピー3部)300円 実費300円

計         1,171,370円  実費 902,020円(-269,350円)

赤文字は会員サービスで無料となったもの、青文字は同じく値引きされたものの金額です。

以上が「葬儀費用」で、このほかにもまだ加算されます。

㊶お返し 20580円
㊷お料理 135,500円
㊸お供物 24,800円
さらには、
㊹消費税 92,270円

で、ここから義母がかけていた会費(30万円)が差し引かれ、結局払った金額は、

¥875,170

でした。

義母は生前、
「私が死んだら家族葬でいいから、D会館に払い込んである30万もあれば足りるやろ」
なんて言ってましたが、

全然足りませんでしたねー

でも、会員割引と併せて569,350円も浮いたわけで、そうでなかったら総額150万近くかかったことになるんだから、やっぱり葬儀の互助会には入っておくべきだと思います。
人間、いつかは必ず死ぬんですからね。

追記 
お寺さんへのお布施を入れ忘れていました。
いくらくらい包めばいいのかわからず(これまでそういうことは全て義母に聞いてたので)、ネットで調べたら15万くらいが相場みたいだったのでそうしました。
単価としては結局これが一番高額でしたねwww
あとで麻衣子さん(義叔母)に、「いくら払った?」と聞かれたので「15万」と答えたら「ま、そんなもんやろね」と。

しかし今回のうちの場合、お寺さん一人だったからこれで済んだけど、映画なんか観てると二人とか三人とか来ることもあるみたいなので、その場合は×人数分になるのかしら????


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# by glassysky | 2025-10-30 17:46 | Comments(0)