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7月10日(木)~ おみおくりラプソディー その5 義母の遺言の法被発見

義母のおみおくりに関する話題も、ついに「その5」に突入。義母が亡くなって、早や三か月以上経とうというのに、まだまだ書き終わりそうにありませんw
果たして年内に完結できるのか? って感じになってきましたwww

今回の義母の葬儀みたいに小さな家族葬でも、こんなにドタバタが尽きないのだから、昔ながらの大きなお葬式だったら、もっとエピソード満載だったでしょうね。
古い話ですが、伊丹十三さんが「お葬式」という映画を撮ろうと思った気持ちがわかる気がします。お葬式や、それにまつわる情景って「絵になる」から、映像作家としてはこんな美味しいネタはありませんからね。

私、結局あの映画はちゃんと観たことないんですが、今になってちょっと観てみたくなりました。NHK‐BSくらいで放送してくれないかしら?

さて、義母の通夜のことに話を戻します。
前回は葬儀場のお風呂の話の途中でしたね。

お風呂で思い出したのが、義母の姉である弥栄子さんの通夜のこと。
自分のブログの過去記事を漁って気が付いたのですが、かれこれ10年も前にことになるんですねー。月日の流れのなんと速いこと!
当時はアネ子が社会人になったばかり、イモ子はまだ大学生だったんだなあ、と思わず遠い目になってしまうわw

義母の時は、亡くなった翌日が通夜だったのですが、弥栄子さんの時は亡くなった当日が通夜でした。普通はそうなんだと思うけど、義母の時はなんで翌日だったんだろう? 警察の取り調べ(?)があったからかな?
ま、その方が助かりましたけどね、式服を取りに帰ったりとか、その他もろもろの準備にも時間の余裕がありましたので。

思い起こせば弥栄子さんの訃報を聞いた時はダンナが関東に出張中で、当日が通夜だと言うので私と娘たちは急いで喪服一式を抱えて電車で帰省せねばなりませんでした。
それはまあ仕方ないからいいんだけど、最悪なことにこの時の斎場、お風呂はもちろんの事、シャワールームすらなかったんですよ。

ダンナは夕方になって車で駆けつけては来ましたが、着くや否やビール呑んじゃったんですよね。
私としては、ダンナが来たら一旦ダンナの実家に連れてってもらって、そこでお風呂に入りたかったのに、呑んじゃったらもう車の運転はできません。
その斎場って、周りは田んぼと畑と山しかないような不便なところにあったから、車以外の交通手段は一切なかった。
なので私ら一家は、その晩はお風呂に入れなかったんです。秋だったとはいえ、電車で移動してきたから汗もかいてるし、気持ち悪かったです。
弥栄子さんのお身内(妹の麻衣子さん一家や、義姉一家)は、葬儀場には泊まらずに帰っちゃったから、家でお風呂に入れるのに……。

だいたい、弥栄子さんの通夜だっていうのに、同居していた麻衣子さん一家がさっさと帰っちゃうってどういうことよ? という理不尽さも相まって、長旅(?)の汗を流せないまま一夜を過ごした恨みは今でも忘れることができません。
一番腹が立ってるのは、斎場に着くや否やダンナがビール吞み始めたことですけどね。私を始め、若い女の子(当時は?w)である娘たちが風呂に入れないでいるってことに気が回らないんだから。ま、男なんてそんなものなのかもしれませんけどね。

この「男なんてそんなもの」ってのは、義母の遺品整理が始まってからも痛感したのですが、その話はまたのちほど。

で、私がここで声を大にして言いたいのは、

「斎場には風呂の設備くらい作っとけ!」

ってことです。

この時の斎場、もしかしたらずいぶん古かったのかもしれません。昔は、というか義母くらいの世代の人たちなら、一日二日お風呂に入らなくても平気だったのかもしれませんが、私なんぞは「毎日シャンプー」が当たり前な世代(ギリですがw)。
この斎場って、いまだに存在してる斎場で、ダンナの実家に行くときの道沿いに見かけます。
義母同様、うちの親戚たちも高齢で、そろそろ何があってもおかしくない。義姉のお姑さんももう90歳越えてるし、麻衣子さんのダンナさんの幹夫さんも話に聞くところによるとかなり弱ってきてる感じ? 今後はもしかしたらそのあたりの葬儀が続くかもしれません。

でも、間違っても、そのお風呂のない古い葬儀場で通夜はやらないで欲しいです!!!!

ということで、風呂に関するボヤキはここまでにして、義母の葬儀の話に戻ります。
弥栄子さんの時と違って、こちらのD会館には広くてキレイなバスルームがあったので、ゆっくり入浴したあと、ベッドルームでぐっすりと眠ることができました。
このベッドルームってのがまた素敵で、宮付きのベッドが二台と照明器具以外何もない部屋でした。
うちの寝室なんて、箪笥だの本棚だのテレビだのがあって、すごくゴチャゴチャしてますから、こんなスッキリしたベッドルームのある家に住むって、ひとつの夢です。もう叶いそうにありませんけどね。

「ぐっすり眠った」とは言いましたが、夜間にもちょっとしたドタバタがありました。

当然と言えば当然のことですが、会館の出入り口は夜間は施錠されています。
そして、これまたイマドキは普通ですが、館内は全面禁煙でした。しかし正面入り口の車回しのところに灰皿があって、そこでなら喫煙OK.
なので煙草が喫いたかったら外へ出なきゃならないわけです。
齋藤さんの説明によると、
「裏口から外へは出られますが、内側からしかドアを開けることが出来ず、出ると同時に自動的にまた施錠されてしまいます」
のだそうな。しかし、
「夜間も警備員が在中してますので、その場合はインターホンを押していただければ開錠します」
とのことでした。

で、私が寝てた深夜……というより明け方だったなか?
スマホが鳴ったんですよ。
そして隣のベッドにいたはずのダンナがいない。

この時点でピンときましたね。

ああ、締め出されたな

とwww

そう、ダンナはその時間に煙草が喫いたくなって外へ出た。
で、戻ろうと思ってインターホンを押したけど、応答してくれるはずの警備員からは反応ナシ、だったらしい。

おいおい、

警備員、寝てたのか????


と、通夜振る舞いの寿司とおにぎりが不味かったことに続いて、この会館のマイナスポイント!
っつーか、これが一番許せなかったですね。

そんで私が起きてって開錠してあげたのですが、ついでに交代で私もちょっと外へ出てみました。一緒に出たら今度は二人とも締め出されちゃうからダンナには館内で待っててもらってね。

夜でも館内の明かりは煌々とついてたので、正面入り口のあたりは明るかったのですが、田舎だからすごく静かで、まさに「静謐」という言葉がぴったりな空気感。
それでいて、道路を一本挟んで向かい側にコンビニがあったので、不思議な安心感もありました。こんな時間にも起きて働いてる人や、買い物に来る人がいるんだな~と。
しかし、葬儀場の真向いにあるコンビニって、なんかいわくつきのエピソード(要するに怪談w)もありそうですね。私が毎年健康診断を受けに行く総合病院の傍にもコンビニがありますが、そこも同様www

車も走ってないし、周囲にポツリポツリとある民家や工場、そして畑や遠くに見える山の木々も、み~んな眠ってる感じ。
ダンナも起きてるのはわかってるし、コンビニも活動してるんだけど、縁石に腰を下ろしたまま、しばらくそんな光景をぼんやり眺めていると、なんとなく世界中で目覚めてるのは自分ひとりだけのような気分にすらなりました。

この感じ、なんかデジャブがあるなあと思ってよくよく考えたら、10年前の弥栄子さんの通夜の晩にも同じ感覚を味わったなと思い出しました。
そう、あの「お風呂のない」会館で行われた通夜。
その時も私は夜中だか明け方に外に出たんですよね。でも「締め出された」記憶はないから、あの会館は夜間は施錠されてなかったのか????

通夜の晩って、悲しみはもちろんあるけど、不思議な安堵感もあるんですよね。そこには爽快感すらある。
そういえば、私の父が亡くなったときも、もう時間の問題だと言われた時からなんだかワクワクしちゃってたのを覚えています。いくら父の事が嫌いだったからと言って、人の死に際にワクワクするってのは不謹慎な話ですが、それって「何かが終わって何かが始まる」という、大晦日のワクワク感に似てるなと思ったもんです。

父の時は「これでようやく介護の苦痛から解放される」という嬉しさもあったから、ちょっと例外ですね。なので、そうではない弥栄子さんの時や、今回の義母の通夜では、さすがにワクワク感はなかったけど、安堵感と解放感は確かにあった気がします。
正直言って、義母が最初に入院した3月以来、毎週帰省して見舞いに行くのはシンドかった。何度も書きますが、片道二時間以上運転しなきゃならないダンナの体調も心配だったし、道のりの途中で、事故を起こさないかという不安もあったしね。
それでなくても、入院中でも急変したとか、退院後もまた倒れたとかで、いつ緊急に呼ばれるかもしれないと思うと、帰省する日以外も落ち着かない毎日でした。
でも、義母が死んじゃったらそれも終わり。
これからは心穏やかに暮らせるなあと思うと、ホントに肩の荷が下りた感じでした。義母が自ら死を選んだのも、それを望んでたからなんじゃないかなと。

これは少し後になってからの話ですが、義母が仲良しの佐和子さんに宛てた手紙の中に「もういいよ」という言葉があったことからも、そういった義母の心遣いが感じられました。

そうそう、会館の向かいにコンビニがあったと書きましたが、それを見てたら、前日にダンナが着替えのアンダーシャツ忘れたと言ってたのを思い出したので、外に出たついでに買いに行きました。ついでにサンドイッチやスナック菓子なんかも。
その時は小腹すいたのでサンドイッチが食べたいな~と思って買ったのですが、部屋に戻ったら、前夜の通夜振る舞いの残りがまだたくさんあって、もったいないからそっちから先に食べてたらお腹いっぱいになっちゃいましたw やーね、ホントに貧乏性なんだからwww

そうこうするうちに夜も明けてきて、いよいよ葬儀の当日。
葬儀は確か10時からだったのですが、9時頃には親戚たちも集まってくるだろうからと、お化粧や着替えなどの準備は早めに済ませました。
前日に苦労して穿いた着圧ストッキングも、一度穿いて緩んでるので、この日はラクに穿けましたw
フォーマルに着替えて椅子に座ってたら、イモ子が、
「おかーさんのそのブラウス可愛いね」
だって。
ま、ごく普通の喪服用の半袖ブラウスなのですが、襟にレースの飾りがついてるんですよね。
「この襟は着脱できるのよ」
なんてちょっと自慢(?)したあと、私の式服の歴史語りを始めてしまいましたw

そもそも、この式服をいつ買ったのかはまったく覚えてないのですが、結婚してから買ったんだろうなあ。それまで私、式服って持ってなかったんですよね。葬式に出なきゃならない親戚もいなかったし。でも唯一、生前一度も会ったことのなかった父の姉の葬儀に出たことはあって、その時には濃いグレーのノースリーブ(!)のワンピースを着て行った記憶があります。
父がどんな格好で行ったのかは覚えてませんが、父も式服なんか持ってなかったから、わりと普通の服装だったんじゃないかと思います。今から思えばまったく失礼な話だぜ。
で、結婚すると、数は少ないとはいえ一応親類縁者ってものが出来たので、さすがに用意しとかなきゃマズいと思って、ブラウスとスカートとジャケットの三点セットを通販で購入しました。
サイズは13号で、当時はジャストサイズだったんでしょう。

ところが、前にも書きましたが、私はその後、どんどん太り始め、16年ほど前の姪(ダンナの姉の長女)の亜矢子ちゃんの結婚式の時には、スカートはどうにか贅肉を押し込めて穿けたけたものの、上着がパツパツでボタンが留まらなくなっちゃってました。なので仕方なしに白のブラウスの上にそのジャケットを羽織り、ボタンは留めずに着てましたw
確かその白のブラウスも義母からおさがりにで貰ったもので、サイズは15号か17号くらいだったと思います。義母も当時は相当ポッチャリしてましたのでね。

しかし、さらにその後も私はどんどん太り続け、13号どころか21号サイズにまで大成長。
もうそれまでに買ったスーツなんかどれも入らなくなっちゃって、10年前の弥栄子さん(義母の姉)の葬儀の時はフォーエル(大きいサイズ専門店)で買った23号サイズのブラック・フォーマルのワンピースを着る羽目にwww

この話をイモ子にしてたら、
「23号って、7号とか9号の23号?」
と驚かれました。
そう、7号サイズのイモ子からしたら、

「この世に23号の服なんてあるの???」

って感じだったんんでしょうwww

しかしその後、私はダイエットに励み、2年かけて24キロ落としました。
というわけで、大昔に買った13号サイズのフォーマルを再び着られるようになったのでした。

そんな雑談をしているうち、ポツリポツリと親類縁者がやってきました。
一番最初に来たのが麻衣子さん(義母の妹)一家だったかな? いとこの百合子ちゃんと健太郎くんももちろん一緒。
前日の通夜振る舞いのお寿司なんかはもう撤収されちゃってたから、
「朝ごはん食べてきた? よかったら食べて」
と、早朝のコンビニで買ったサンドイッチをテーブルに出しておいたら、いつの間にかなくなってたので、誰かが食べてくれたんだろう。良かった良かった。

それから、N市に住む、ダンナのお父さんの弟の娘(要するにこれまた従姉妹なんだけど)である雅恵ちゃんも来てくれました。
昨年の秋の法事で会った時にも思ったけど、彼女の驚異的な若々しさと美しさはまったく変わらず。
「雅恵ちゃんっておとーさん(私のダンナ)より年上なんだよ」
と娘たちに言ったら(バラしたら?w)、ビックリしてましたよ。
なのであの時、娘たちが「雅恵ちゃん、どんなファンデ使ってるの?」なんて質問攻めにしてましたね。
そんなことを思い出したのと同時に、義母もつい去年の秋までは普通に歩いて(長い移動には車いすを使ってましたが)普通に食事できるくらい元気だったのになあ、なんて事も考えてしまいました。
なのに年が明けてしばらくして急に「胸が痛い」とか言い出し、そこから一気に弱っていったんだから、人の命なんてわからないもんです。

その次に到着したのは義姉の長男・恒夫の奥さんである珠江ちゃんと二人の子供たち。小さい子ふたり連れてはるばる大阪から長距離を運転してくるの大変だっただろうな。

あと、ちょっと笑っちゃったのは、義父(義母の夫。故人)の弟(こちらも故人)の奥さん(雅恵ちゃんのお母さん)のお姉さまがた二人。市内に住んでいるので、訃報を聞いて来てくれたようですが、このお二人、典型的というか、まさに絵に描いたような田舎のおばちゃん(お婆さん?)。
はるか昔、アネ子が生まれた時もダンナの実家にお祝いに来てくれた時に会ったきりだったんですが、
「私の事覚えてらっしゃいますか?」
と挨拶したら、
「あ~~~~、久しぶり~~~~」
……って、最後に会ったの三十年以上前だぜwww

それの何に笑ったかと言いますと、この二人を見た時、いつもTVで観ている「NHK俳句」の句会の回にあった、
「叔母ふたり アッパッパーにて現わるる」
って句を思い出したからなんですよねー。

その句を聞いたとき、この「叔母ふたり」ってのはたぶんいつも一緒に行動していて、服装も同じような感じで、もしかしたら双子か? と想像したんです。そしてきっと世話好きを通り越したおせっかいで、悪気はないんだろうけど、あの句の著者である甥っ子にしてみればめんどくさい叔母たちなんだろうなと。
この日現われた「叔母ふたり」、さすがにアッパッパー姿ではなかったし、これはあくまでも私の想像ですが、姪っ子の雅恵ちゃんに「アンタまだ結婚せえへんの?」なんて会うたびに言ってたんじゃないかな。
なので雅恵ちゃんにしてみたら「あの二人、また現れたよ~」って感じだったんではないかとwww

その叔母様がたとは少し雑談も交わしましたが、「おうちの皆さんもお元気ですか?」と、どんな家族構成かも知らないままお愛想で聞いたら、
「うちの(要するに旦那様のことね)はもうヨロヨロで、今日もよう来んかった(来ることができなかった)」
と、二人で口をそろえて言ってました。
「男はみんなアカンけど、女だけは元気やわ~」
と大笑い。考えてみれば、雅恵ちゃんのお父さんやら、麻衣子さんのダンナさんも同じような理由で欠席だったから、ホントに女はいつまでも元気でしぶといよなあと思いました。特にこの「叔母ふたり」なんか、今いくつなのか知りませんが、軽く100までは生きそうwwww

そうこうするうちに、そろそろ葬儀会場へ移動しようかという時間になりました。
意外にもギリギリになってやってきたのが義姉一家。
後ろの方の席で何やらザワザワしてるなとおもったら、なんと、

義母の法被があった!

とのこと。
そう、義母が生前、自分が死んだらお棺に入れてほしいと言ってた、お遍路さんの法被です。
前日、私がさんざん探しても見つけられなかったけど、義姉たちはこの日の朝も実家に行って熱心に探してたらしい。そのせいでギリギリの到着になったんですね。
問題の法被は、なんと仏壇の下の抽斗に入ってたそうな。私も一応、そこは見たんだけど、何か汚いビニールに包んであったので、まさかそれが大事な法被だとは思わなかった。
見つけたのは亜矢子ちゃんだったみたいだけど、この時、私は、

「血は水より濃い」


ってのは本当だなと思いましたよ。

義姉は、義母の死に際して「(こんな死に方されて)腹が立って涙一粒も出ないわ」なんて言ってましたが、やっぱり母親の最後の願いは叶えてあげたかったんでしょう。
だから私が探しても見つけられなかった法被を、執念で見つけ出したんだろうなと。

これでもう思い残すこともなく、義母を見送ってあげられるなと思い、あとは静かに葬儀の開始を待つだけとなりました。

ところが、このあともハプニングは続くのでした。


つづく








by glassysky | 2025-10-12 05:46 | Comments(0)